大判例

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東京高等裁判所 昭和44年(う)1745号 判決

被告人 人見賢一

〔抄 録〕

第一、弁護人の控訴趣意第一点(事実誤認)について。

一、原判決が、

被告人は、時速二〇粁ないし二五粁位で被害者の直前を左折進行した過失により、自車後部左側面を同人の自転車に「接触させ」、同人をして身体の重心を失わしめて自転車もろとも路上に転倒せしめた。

旨を判示していることは、所論指摘のとおり、原判文から明らかなところである。

二、そこで、「被告人の自動車と被害者の自転車が接触した事実はない」との論旨について考える。

(1) 原判決の援用する、高根沢能次の司法警察員、検察官(二通)に対する各供述調書、原審証人尋問調書、および検察官作成の43、5、13付実況見分調書によれば、同人は、被害者が路上に倒れる前後の模様をずつと目撃していた者、とくに、転倒地点から一〇米位しか離れていない地点で、かつ、自転車の真後ろに当る梅屋旅館の玄関に腰かけて目撃していた者である。同人は、一貫して、

自動車と自転車は、ぶつかつていない

と供述し、さらには、

「自動車が、自転車の前を通り過ぎて一〇米位も進んだと思う頃、突然自転車は左側に、被害者は右側に倒れた」、自転車の直前を自動車が左折進行していつたわけであるが、「自転車の前輪と自動車の左側面との間隔は、約九〇糎と思われる」、「自分としては、別に危いとは思つていなかつた」

旨を供述していることが明らかである。

同人は、全く利害関係のない第三者で、かなり近い距離から終始目撃していた証人であり、その供述もはつきりしており、信用するに足るものといつて差支ないことは、所論指摘のとおりである。

(2) ところで、本件の場合、所論も指摘するとおり、自動車と自転車とが接触したのではないかと疑われるような証拠がないではない。すなわち、自動車についている擦痕と、自転車についている塗料の付着部分の、双方の位置関係の合致の点である。

この点に関して、原判決援用の司法警察員作成の実況見分調書、検察官作成の42、11、30付実況見分調書を精査検討するときには、原審証人石倉元旦の供述するように、「自動車の擦痕と自転車の塗料付着部分は、大体において一致している」という見方には疑問がある。

両者の塗料が合致するかどうかの鑑定もなされてはおらず、本件の場合、検察官作成の右実況見分調書を素直に読む限り、むしろ自動車の擦痕と自転車の塗料付着部分の合致については、否定的に考えざるを得ない。

検察官が、本件起訴状において、とくに、自動車と自転車とは接触してないことを前提として、「被告人運転の自動車が、自転車の直前を左折進行したため、被害者が、ろうばいの余り身体の重心を失つて自転車もろとも路上に転倒した」旨を記載していることも、この間の事情を考慮に入れての措置であつたと見ることができるように思われる。

(3) 原判決の援用する、被告人の検察官に対する各供述調書および原審公判廷における供述、さらには原審証人石倉元旦の証言、小原款の司法警察員に対する供述調書等によるときには、

被告人は、逮捕された当初において、「自転車と接触したとは思わない」旨を供述し、検察官の取調に対しても、「接触したかどうかは分らない」、「接触してないと思う」と供述していることが認められる。

一般に、自転車と接触して、擦痕ができるほどの場合であれば、自動車運転者は、何らかのシヨツクを感ずるはずであると考えられるのであるが、本件の場合、前記説示のところとその他の各証拠に照らしてみて、被告人が、ことさらにうそをいつて、接触の事実をかくしているものと考えるには、多少のむりがあるように思われる。

(4) 以上の諸点を総合して判断するとき、被告人の自動車が、自転車に接触したと認めるに足る十分な証拠がないといわざるを得ない。それにもかかわらず、原判決が、「自転車と接触した」事実を認定し、また、被告人の業務上の注意義務に関しても、接触したことを前提として、接触防止についての具体的な安全運転義務およびその違反について判示するところは、正に事実を誤認したものであり、判決に影響を及ぼすことが明らかな場合であるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

第二、破棄自判

以上の理由により、その余の論旨に対する判断は、後述するとして、刑訴法三九七条一項、三八二条により、原判決を破棄した上、同法四〇〇条但書に従い、当裁判所は、直ちにつぎのとおり自判する。

一、本件公訴事実の要旨は、

被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四一年一〇月一日午後二時二〇分頃、自家用普通貨物自動車(栃四に七三六号)を運転して、栃木県那須郡黒磯町大字黒磯一九六番地先の信号機により交通整理の行われている交差点を信号機の信号に従い那須町方面から黒磯駅方面に向つて左折進行するに際し、折から右交差点左側を西郡須野町方面に向い自転車に乗つて進行して行く太田ユキ(当五七歳)を発見したが、こういう場合、同人の直前を横切つて左折進行するときは、同人が、ろうばいの余り身体の重心を失つて路上に転倒し、同人に危害を及ぼすおそれがあるから、自動車運転の業務に従事するものは、一旦停車して同人が安全な位置に移動したのを確認の上、左折進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、漫然時速二〇粁ないし二五粁位で前記太田ユキの前方を九〇糎位の間隔を置いただけで左折進行した過失により、同人をしてろうばいの余り身体の重心を失わしめて自転車もろとも路上に転倒せしめ、よつて同人に対し治癒見込み不明の右外傷性顔面神経麻痺、亜急性硬膜下血腫後遺症及び全治約二ケ月を要する脳震盪、頭蓋骨皹裂骨折、右側頭部打撲兼皮下血腫右肘部手背及び右下腿打撲兼擦過創の傷害を負わせたものである。

というにあつて、右の注意義務および被告人の過失によつて傷害を負わせた点を除くその余の事実は、原判決に掲げる証拠により、すべて認めることができる。

二、被告人の右過失の有無についての検討。

(1) 被告人の進路等について。

<1> 原判決に掲げる被告人の検察官に対する各供述調書によると、

被告人は、自転車もまた左折するものと思つたので、一米半位の間隔をおいて、時速二五粁位の速力で、自転車を追い越しながら左折した

旨を述べ、

<2> 前記高根沢能次の供述調書、尋問調書によると、

自動車が自転車の直前を横切つたときの位置関係は、自転車の前輪と自動車の左後輪辺りとの間隔が、九〇糎位だつたように思う。自動車が自転車の前を通りすぎて約一〇米位進んだと思う頃自転車が倒れた。その時女の人は、足をついている様子もなく、またそれほどふらついた様子もなかつた

と述べていることが明らかである。

(2) 被害者の自転車の進路について。

被害者の血痕の付着していた地点が、横断歩道内にあつたことは、証拠上明らかであり、これと前記高根沢能次の供述調書、尋問調書等を総合すれば、

被害者は、国道四号線をゆつくり走つて、白河方面から本件交差点に入つて来て、その交差点角の丸みに沿つて、いつたん黒磯駅方面に左折するような進路をとつた後、左折してしまわず、横断歩道の白線上あたりを、宇都宮方面に向つて進行したもの

と認めることができる。

(3) なお、被害者は、着物姿で、婦人用自転車に乗つていたことは、証拠上明らかであり、これまでに述べて来たすべての具体的事情、ことに、高根沢証人のいう、自転車の前輪と自動車の左後輪辺りとの間隔が九〇糎位の間隔をおいて、被告人の自動車が、その前を横切つて左折したという具体的事情の下において判断するとき、「自転車が、ろうばいの余り身体の重心を失つて路上に転倒し、同人に危害を及ぼすこと」は、その可能性がないわけではあるまいが、通常起り得るような事例であるとは、とうていいい得ない。従つて、これを当然予見すべきであるとする特段の事情が他に認められるならば、被告人に過失があるとして非難することも可能であろうが、右特段の事情がなく、前段詳記のような本件の具体的事情の下においては、右の危険を当然予見すべきものであつたとして非難を加える、つまり被告人に過失があるとするには疑問がある。

以上の理由により、被告人の過失の点について、その証明が十分でないので、刑訴法三三六条後段により、無罪の言渡をする。

(江里口 上野敏 横地正)

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